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どうしても知りたかった

2022.06.27 キッチンジャーナリスト 本間美紀

【本間美紀のコラム 2022/06/27】 

どうしても知りたかった。

だからぎりぎりで駆け込んだのだけれど、結論は明確にはわからなかった。それは建築家・吉阪隆正のこと。海外出張から戻ってすぐ、6月19日までだった「吉阪隆正展:ひげから地球へ、パノラみる」(東京都現代美術館)へ。

とても個人的な話になってしまうけれど、私が学生時代の大半を過ごした岩手県の森の中の早稲田大学のセミナーハウス「青鹿寮」(あおじしりょう)。私はその建築で過ごしている時間がとても好きで、誰が設計したのか、そのことがずっと気になっていた。いまや築50年近い木造建築である。

吉阪隆正はかつて早稲田大学理工学部の学部長だったから、本人かそのお弟子さんが設計したのではないか……といろんな話が当時も仲間とでたのだけれど、真実は明らかにならなかった。ましてや自分は文学部、当時は建築と無縁だった。

展覧会を見ると、吉阪隆正氏は幼少時はスイス、イギリスなどの海外で育ち、ル・コルビジェのアトリエ勤務を経て帰国。早稲田大学の教職の傍ら「U研究室」でたくさんの建築を残し、弟子を育て、緻密な研究者で、絵も描き、童話も書く夢見るような文筆家。

なにより山行をこよなく愛した本格的な登山家で、マッキンリーの登山ルートを開拓。フィールドワークを欠かさず、欧州、北米からアフリカ大陸まで世界中を歩き回って都市や文明を調べ尽くした。多才でつねに現場に居た人だとわかった。

青鹿寮の竣工は1971年5月。吉阪氏は1980年に逝去し63歳で亡くなる直前の10年間は多忙を極めていたから、設計に直接携わった可能性はかなり少ないけれど、展覧会を見ると、私が岩手県の寮の建築から感じる空気感と、吉阪隆正の考え方はかなり近いものを感じる。

代表作の「八王子の大学セミナーハウス」とはあまりにも見た目が違うけれど、デザインや作風ではなく、そこにいると原始境と文明境があいまいなような過ごし方ができる不思議な建物だったから、それが吉阪隆正らしいと感じたのだった。

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