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直木賞作家にゆかりの…

2022.03.31 キッチンジャーナリスト 本間美紀

[本間美紀のコラム 2022/03/31]

●直木賞作家にゆかりの、、、

案内状の「直木賞作家にゆかりの建物…」という言葉が心に引っかかった。キッチンリノベーションの現場を見に来ませんかという建築家の山中祐一郎さんからの案内だ。

現地に着いてみると、低層の古いマンションで、すでに何か放つものが違う。「川口アパートメント」とある。私はあまり認識していなかったのだが、リノベ好き、ヴィンテージマンション通の間ではよく知られた歴史的なマンションだった。完成当時はプールもあったという。

エントランスには第1回直木賞作家・川口松太郎の、太いはみ出すような字が額装されている。このマンションは川口一家が昭和39年に賃貸用に建てた、当時のデラックスアパートメントなのだという。直木賞作家にゆかり…というのは、そういうことだった。

山中さんはそんな重厚なマンションを軽やかなラワン合板のキッチンでリノベーションしていた。都市生活のセカンドハウスとして、ライトに使えるシャープなキッチン。改装前に残っていたパケットフロアを書斎の床の一部に使うなど、建物の記憶をとどめることも忘れない。

そんな時、見学者のために置かれた資料の中に、完成当時の「川口アパートメント」の宣伝パンフレットを見つけた。

表紙は妖艶な河童の絵で知られる小島功氏のイラスト。ぱらぱらとめくって、さらに驚いた。内容はまるで文芸書。なんと巻頭が曽野綾子さんの随筆で始まる。その後が岸惠子さん、他に数人の文化人が執筆している。当時の出版社の編集者だって、なかなか起用できない豪華執筆陣だ。

曽野さんの原稿は「住まいとは人間の顔で、本物の美への探究と合理性への欲求とが合わさったもの」というような内容。昔の週刊誌にあったような大人の風刺漫画も掲載され、気の利いた読み物になっている。最後に長男であり俳優の川口浩さんが、このアパートメントの何を良いと考えて建てたのかが実直に書かれていて、オーナー川口一家の誠実な気持ちが伝わってくる。

いわゆる「マンションポエム」がない。

マンションポエムとは、高級不動産の広告によくある、読んでいるとちょっと白けてしまうような美辞麗句。不動産事業を、こんなに素直な“伝わる言葉”で宣伝できた時代なのか、川口さんの職業柄、人柄なのか? とにかくこのパンフレットは賃貸アパートメントの宣伝のはずなのに、そこで読み取れるのは時代の文化だった。

「家の美は心の美をつくる」エントランスで見た川口松太郎の言葉が、改めて心に響いてきた。

文=本間美紀

●前回のコラム「ドイツのお鍋」はこちら
●次回のコラム「組み立てる、ってすごいこと」はこちら

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